家事分担に思う。
共働き夫婦の家事分担でもめたときによく耳にするのが、「収入額少ない方が多く担うべき」という主張です。「収入が多い」=「仕事が大変」という理論ですね。
一見、ロジカルに見えるので結構使われることが多いみたいですが、家事分担を多く担っている側が納得していないことも多く私自身ももやっとしていたので、なんでか考えてみました。
そうしたら見えてきたのが、「パートナーと年収の多寡を比べるのは無意味」という点です。
家事の総量はおおよそどの世帯でも一緒ですが、世帯年収やお金の使い方にはばらつきがあります。
総量の変わらない家事分担を自分とパートナーで負担するものとして考えると、今のとこと自分の家事を減らそうとする人は「年収の多寡が~」という主張に行きつくことが多いようです。ここで踏み込んでほしいのは、「自分の方が年収が高い」と言っている人が「その収入で、パートナーが行う家事をどれくらい減らせているか」という視点です。
食器洗い乾燥機は投入しましたか?
全自動洗濯乾燥機は?
ロボット掃除機は?
家事代行は?
ヘルシオ(ウォーターオーブン/ホットクック)は?
家事を多く担っている側がこれらの投入を求めたときに、「そういうのを使うのは怠慢だ、言い訳だ」とか「金銭的に無理だ」というなら、家事分担が少ない方がその肉体を使って家事を行う以外に手はありません。
繰り返しますが、家事の総量はどの世帯でもそう変わりませんし、人間のリソースも決まっています。あとはお金だけです。
自分・パートナー・その他支援(時産家電や家事代行)の三者で分担すると考えれば、分担が平等でなくパートナーが不満をためているという状態にあったら、「年収の多寡をパートナーと競って自分が勝っているからやらなくていい」という言い分は成り立たない、そう感じます。
逆に、自分がやりたくないのなら、惜しまず時産家電や支援を投入すればいいのです。
私は独り身で、全自動洗濯乾燥機とロボット掃除機がなければ一時期生活が成り立たなかったくらい多忙だった時期があります。
一人分の家事でもそんな状態だったのに、これが二人やそれ以上となればその負担は想像するだけでぞっとします。
お互い好き合ってパートナーシップを組んで共同生活をしているのだから、家事支援を怠惰とみなすのではなくQOLを上げるためのものとして積極的に活用する人がどんどん増えていくことを祈っています。