貧困は本人の努力が足りないから?
「自己責任論」派と「それ以外の要因もある」派
「それ以外の要因もある」派です。ただ、もちろん本人の責任範囲……というより、努力もないと、残念ながら貧困から抜け出すことは難しいと思っています。
ただ、どこまでが本人の努力で補えて、どこからが難しいのか、それを踏まえない「自己責任論」派を見ることが多い気がするので、自分なりにまとめてみました。
本人の努力によるところ
いろいろあるかとは思うのですが、本人の努力で一番注力すべきは「情報収集」だと思います(学校などの勉強もここに含みます)。
不要な出費から身を守るのにも、節約するにも、お金を効率的に運用するにも、知識は不可欠です。
それをしないで、無駄な使い方を自覚せずに貧困状態から抜けられない、は、努力が足りないといわれて当然だと思います。
また、お金を稼ぐためには、情報や知識は武器です。
資格を取ることが大事ではありません。役立つ知識を自分で得て、役立てるのが目的です。
副次的な効果として、「自分から知識を収集できる人」は「自己研鑽の努力ができる人」であるという評価されます。
「お金がなくて情報収集なんてできないよ」という方
私は図書館が大好きです。本を乱読するときにはいちいち買っていたら破産します。
図書館は、地域によって蔵書量・種類の格差はありますが、どこの自治体にもたいていあるのではないのでしょうか。
これだったら、時間さえあれば、インターネットにアクセスするのもできない状態の方であっても利用可能です。
余談ですが、私は貧困解消の一つには「情報のアクセシビリティの均等」が大事だと思っています。日本ではたいていの人は文字を読んで情報を得られますし、インターネットや図書館などで自分で情報収集ができます。これはある程度、機会の均等があるかと思っています(地方と都市では多少の格差はあると思いますが)。国によってはこれが難しく、貧困から抜け出せない人も多くいると感じています。
「そうは言っても情報収集なんてする時間がない」という方は確かに存在する
もしかすると「自己責任論」派は、ここをついてくるかもしれませんが、私は「どうしようもない理由で時間がない」という方もいると思っています。
子どものころから時間を惜しんで働かないと生活が成り立たない、シングルペアレントになってしまった、などです。
これはもう、寝る間も惜しんで情報収集しろとは思いませんし、リラックスや余暇の時間が捻出できたら十二分にくつろいでください、と思います。
別の国では、子どもも働かないと家族が食べていかれないから、学校にはやれない、だから教育も受けられず貧困から抜け出せない、という構造が確かに存在しており、その構造は、どこでも発生しうるものだと思います。
病気、介護、事故、怪我などの要因で、誰でも貧困になりうる
なにかが起きて自分の体が動かせなくなる、あるいは賃金を得るための労働に割く時間が奪われてしまう、こうして働けなくなる、というのは、本人ではどうしようもないことです。前述の子育てもここに含まれてくると思います。
「子育ては自分で産むことを選んだから自己責任」というのは、本人に責任を押し付けすぎだと思うのです。「子どもは社会の資産である」というのが海外で考えられている価値観です。「子どもは本人(たち)の責任」という考えが少子化の要因であることは無視できません。話がそれるので詳しくは書きませんが、これは「自己責任」ではないと思っています。
「貯金を作っておかない方が悪い」「保険に入っておかなかった方が悪い」というのも、苦しい考え方です。
このリスクは、本当に誰でもあります。
働けなくなるのが明日の自分かもしれないと思ったときに、「私は大丈夫」と一切の不安なく言えるでしょうか。
今日、外出したら事故に遭って体が動かなくなるかもしれない。
あるいは親が倒れて、自分が介護をしなくてはいけないかもしれない。
自分がそうなって、「あ、しんどい」と思った時に、「自己責任!」とはねつけられる社会と、助けを求めやすい社会、どちらで生きたいでしょうか。
まとめ
「私はこれだけのことをして貧困から脱した。それができないのは本人が怠けているから」という意見を見るたびに、「頑張ったんだなぁ」と思います。
それが自分を支えてくれて、その経験が今も前に進む原動力になっていることは、本当に素晴らしいと思います。
ただ、自分の励みにすることと、他人にも同じことを強いることは別のことだと思い、ここに意見を書いてみました。
……と言いつつ、私自身が、奨学金返済中ですし受験勉強は塾も通わず学校のテキストで乗り切ったタイプで、お金を節約して勉強し図書館で学んだタイプなので、自身の経験談にしがみついて、ここまでの話をしてしまった、という流れなのでした。
強いるようなものではなく、ただで頑張るには情報収集こそ大事だと思います、というイチ意見として表明しておきます。